ジェニファーはダンとサーシャの姿が見えなくなるまで、馬車の窓から身を乗り出して手を振り続けた。
「ダン……サーシャ……」
2人の姿が見えなくなり、ようやくジェニファーは席に座ると伯爵が話しかけてきた。
「あの子達とは仲が良かったのかい?」
「はい、とても仲が良かったです」
ジェニファーは笑顔で返事をする。
「そうだったのか。名前は何というんだい?」
「男の子はダン、女の子はサーシャっていいます。後、もうすぐ1歳になるニックっていう男の子がいるんです。まだ赤ちゃんなので、とっても可愛いんですよ」
「もしかして、その赤ちゃんの子守もジェニファーの仕事だったのかい?」
伯爵はジェニファーの手をじっと見つめる。
まだ10歳の少女の小さな手は、豆が出来て潰れた跡が残っている。見るからに痛々しかった。(それに比べ、あの女の手は随分と綺麗だった……こんな小さな子供に全ての家事を押し付けていたのか……まだ10歳だと言うのに)
自分の姪っ子が使用人のようにこき使われていたことは彼にとってショックだった。
何より、ジェニファーは自分の娘と同い年だったので尚更だ。「ジェニファー。君はまだ10歳なのに、叔母にこき使われていたのだろう? 可哀想に……さぞかし辛かっただろう?」
「辛かったですけど、ケイトおばさんがいつも私を助けてくれました」
「ケイトおばさん?」
「はい。ケイトおばさんは近所に住んでいて、私にお料理やお洗濯、お掃除のやり方を沢山教えてくれたんです。私は……本当に何も出来なかったから」
「何だって? それでは、あの女はジェニファーに家事を教えることもせずにいきなり全てをやらせようとしたのか?」
「……はい。そうです。でも、今はケイトおばさんのお陰で何でも出来るようになりました。薪割りはまだ……うまくやれませんけど」
俯いて答えるジェニファー。
「なんてことだ……」
伯爵は歯を食いしばった。改めてアンに対する激しい怒りがこみ上げてくる。
「それでは、手紙を読め
ジェニファーはダンとサーシャの姿が見えなくなるまで、馬車の窓から身を乗り出して手を振り続けた。「ダン……サーシャ……」2人の姿が見えなくなり、ようやくジェニファーは席に座ると伯爵が話しかけてきた。「あの子達とは仲が良かったのかい?」「はい、とても仲が良かったです」ジェニファーは笑顔で返事をする。「そうだったのか。名前は何というんだい?」「男の子はダン、女の子はサーシャっていいます。後、もうすぐ1歳になるニックっていう男の子がいるんです。まだ赤ちゃんなので、とっても可愛いんですよ」「もしかして、その赤ちゃんの子守もジェニファーの仕事だったのかい?」伯爵はジェニファーの手をじっと見つめる。 まだ10歳の少女の小さな手は、豆が出来て潰れた跡が残っている。見るからに痛々しかった。(それに比べ、あの女の手は随分と綺麗だった……こんな小さな子供に全ての家事を押し付けていたのか……まだ10歳だと言うのに)自分の姪っ子が使用人のようにこき使われていたことは彼にとってショックだった。 何より、ジェニファーは自分の娘と同い年だったので尚更だ。「ジェニファー。君はまだ10歳なのに、叔母にこき使われていたのだろう? 可哀想に……さぞかし辛かっただろう?」「辛かったですけど、ケイトおばさんがいつも私を助けてくれました」「ケイトおばさん?」「はい。ケイトおばさんは近所に住んでいて、私にお料理やお洗濯、お掃除のやり方を沢山教えてくれたんです。私は……本当に何も出来なかったから」「何だって? それでは、あの女はジェニファーに家事を教えることもせずにいきなり全てをやらせようとしたのか?」「……はい。そうです。でも、今はケイトおばさんのお陰で何でも出来るようになりました。薪割りはまだ……うまくやれませんけど」俯いて答えるジェニファー。「なんてことだ……」伯爵は歯を食いしばった。改めてアンに対する激しい怒りがこみ上げてくる。「それでは、手紙を読め
「それではジェニファー。迎えの馬車を家の外で待たせてあるので行こうか? 荷物の準備は出来ているかい?」フォルクマン伯爵がジェニファーに尋ねた。「はい、伯爵様。出来ています、部屋に置いてあるので取りに行ってきますね」「なら一緒に行こう。運ぶのを手伝うよ」その言葉にギョッとしたのはアンだった。「え!? 伯爵様はどうぞ応接室でお待ち下さい。荷物ならこの子が1人で持てますから」「何を言う? こんな小さな子供に1人で運ばせるような真似はさせられない。さ、ジェニファー。案内してくれるかい?」「はい」素直に返事をすると、ジェニファーは前に立って歩き出した。その後をフォルクマン伯爵もついていき……。「何故、あなた方もついてくるのだ?」足を止めてフォルクマン伯爵は振り返った。彼の背後にはアン、そしてザックがついてきている。「い、いえ。わ、私達はジェニファーの保護者ですから……」視線を泳がせながらアンは答える。その様子を見た伯爵は黙って前を向くと、声をかけた。「足を止めさせてすまなかったね。ジェニファー。案内してくれ」「はい」ジェニファーは頷いた――「ここが私の部屋です」ジェニファーに案内され、部屋の中に足を踏み入れた伯爵は驚いた。「本当に、ここがジェニファーの部屋なのかい?」「はい、そうですけど?」首を傾げるジェニファーに伯爵はショックを受けた。それもそのはず。この部屋にある家具はベッドと小さなチェストだけだったのだ。「なんてことだ……これではただ寝て、着替えをするためだけの部屋じゃないか」「はい。ここはそのための部屋です」「勉強机も無いじゃないか。本は読まないのかい? 女の子なら人形遊びくらいするだろう?」「勉強はしていませんし、本も読みません。人形遊びは……したことがないです。だって私の仕事は家事ですから」「ジェニファーッ! 余計なことを言うんじゃないの!」アンが叱りつけた。「何が余計なことだ?」伯爵が冷たい目でアンを睨みつけた。「あ……そ、それは……」「こんな小さな子供に、すべての家事を押し付けるとは……。しかも学校にも通わせず、教育も受けさせない。これはもはや虐待だ。訴えても良いレベルだな」「ぎゃ、虐待だなんて……!」すると、ザックが震えながら懇願した。「お、お願いです! どうか訴えるのはやめて下さい! そん
金の髪に青い瞳の男性はこの辺りでは見かけたことがない、立派な身なりをしていた。高級そうなスーツにネクタイ。会社勤めをしているザックは、ひと目で相手がどれほど金持なのか見抜いてしまった。(一体、この人物は誰だ? もしや……)そのとき、アンがヒステリックに叫んだ。「一体あなたは誰ですか!? 人の家に勝手に上がり込むなんて、泥棒と同じですよ!」すると男性は冷たい視線をアンに向ける。「それは人の気配がするのに、いくらノックをしても誰も出てこないからだ。それで家の中に入ってみれば、怒鳴り声が聞こえている。だから様子を見に来てみれば……大体人の家と言っているが、ここはジェニファーの両親が住んでいた家だ。ということは、この家の持ち主はジェニファーではないのかね?」「な、なんですって……! どうしてそれを……!」その質問を男性は無視し、今度は笑顔でジェニファーに話しかけてきた。「久しぶり、ジェニファー。私を覚えているかね?」「はい……! フォルクマン伯爵。覚えています」「フォルクマン伯爵ですって!?」その言葉にアンの顔が青ざめる。「このバカッ! お前は伯爵家の方になんという口の聞き方をするのだ!」ザックはアンを怒鳴りつけると、ペコペコ頭を下げた。「初めまして、フォルクマン伯爵。我々はジェニファーの後見人の、ザック・ウッドと申します。こちらは妻のアン。そして子供たちのダンにサーシャです。先程は妻が大変失礼な態度を取り、大変申し訳ございません。ほら! アンッ! お前も謝れ!」相手が伯爵だということを知り、アンは低姿勢に出た。「フォルクマン伯爵、申し訳ございませんでした。私はジェニファーの叔母のアンと申します。この子の亡くなった母親が私の姉でして、今は私が代りにジェニファーの母親代わりをしています」「母親代わりというのなら、もっと母親らしいことをしてやるべきではないのか? こんな小さな子に、全ての家事を押し付けているのだろう? 会話が廊下にまで聞こえていたぞ」「!」その言葉に、アンの肩がビクリと跳ねる。(そんな……まさか、伯爵に聞かれていたなんて……!)「手紙に金銭の要求を書かせたのも、あなたですか」「そ、それは……!」「違うのかね?」「いえ……そう、です……」「私から金銭を要求したのは、使用人を雇うためなのだろう? ジェニファーの
2日後――今日はフォルクマン伯爵家がジェニファーを迎えに来る日だった。この日のジェニファーは朝4時から起床していた。こんなに早くから起きているのは、アンから家事を命じられていたからである。家事が大嫌いなアンは、ジェニファーが去る直前まで働かせようとしていたのだ。そこでジェニファーは夜明け前からエプロンをして、1人で黙々と家事をしていた。井戸水を汲んで、台所に運ぶ頃には夜が明けていた。「どうしよう……まだ洗濯だって終わっていないのに、夜が明けてしまったわ」料理も洗濯も最悪の場合、ケイトに頼むことが出来る。だけど、そんなことはしたくなかった。(ケイトおばさんには、迷惑かけられないわ。おばさんだって家の仕事があるのに……自分でやれることはやらないと)まだ10歳のジェニファーは自分の置かれた環境で、すっかり大人びた子供になっていたのだ。「急がなくちゃ……!」ジェニファーは自分に言い聞かせると、汲んだ重たい水桶を台所へ運び続けた。――午前8時台所にアンの怒声が響き渡った。「何をしているのジェニファーッ! 食事の準備が出来ていないってどういうことなの!!」「ご、ごめんなさい。叔母様、洗濯をしていたら遅くなってしまったの」ジェニファーは震えながら答える。「だったら、もっと早くから洗濯をしておけばよかったでしょう!」「でも、私……朝の4時から起きて仕事を……」「朝の4時から起きていて、まだ食事の準備が出来ていないなんて要領が悪すぎるんじゃないの!?」「そんな……」そのとき、騒ぎを聞きつけたダンとサーシャが現れた。「お母さん!! 姉ちゃんを怒るなよ!」「そうよ! 可愛そうだわ!」「何ですって……? 私は、あなた達がお腹をすかせているかと思って言ってあげているのよ!?」「だったらお母さんが食事を作ればいいじゃないか!」「そうよ!」「ダンッ! サーシャッ! 一体あなた達は誰の味方なのよ!」怒りで顔を赤く染めるアンは、ジェニファーを睨みつけた。「何だ? まだ食事が出来ていないのか? 一体どうなっている!」そこへ叔父のザックが現れ、アンを睨みつけた。「何で、皆して私を責めるの? 家事はジェニファーの仕事でしょう? 私はニックの子育てで忙しいのよ!」「だが、今日からジェニファーはいなくなるのだ。全ての家事はアン、お前の仕事にな
手紙を書いた約10日後――ジェニファーが庭で洗濯をしていると郵便配達人が自転車に乗って現れた。「ブルックさんの家にお手紙が届いていますよ」「ありがとうございます」洗濯の手を止めると、ジェニファーは手紙を受け取った。「今日は1通だけです。それでは」郵便配達人はそれだけ告げると再び自転車に乗って走り去っていった。「手紙……誰からかしら……あ!」ジェニファーは封筒の差出人を見ると、辺りを見渡した。(叔母様はいないわね……今のうちに!)手紙をエプロンのポケットに入れると、すぐにジェニファーは屋敷の裏手に回った。建物の陰に隠れ、手紙を開封すると早速目を通した。するとそこには驚きの内容が書かれていた。15日に、ブルック家にジェニファーを迎えに行くと記されていたのだ。(15日……今日は13日だから、もう予定まで2日しかないわ! どうしよう……時間が無いから、すぐにでも叔母様に知らせないと……だけど、勝手に手紙を見たことがバレてしまうわ。そうなると酷く怒られてしまう……)しかし、黙っているわけにはいかない。後2日で迎えが来てしまうのだ。「叔母様に伝えるしか無いわね……」ため息をつくと、ジェニファーは重い足取りで屋敷の中へ入っていった――**パンッ!!殺風景な部屋に乾いた音が響き渡る。ジェニファーが平手打ちされた音だ。「勝手に手紙を開けて見るなんて、なんて子なの!?」「で、でも叔母。その手紙は、私宛に届いた手紙ですよ?」叩かれた右頬を手で押さえながら涙を浮かべて訴えるジェニファー。「おだまりなさい! 誰のお陰でこの家に住んでいられると思っているの!? 私達がお前の後見人になったからでしょう!? そうでなければ、とっくにお前は施設行きになっていたわよ? それが分からないの!?」ジェニファーをお前呼ばわりして乱暴に叱責するアン。「いいえ、叔母様の言うとおりです……勝手な真似をして、ご、ごめんなさい……」零れ落ちそうになる涙を必死で堪えながら謝る。そんなジェニファーの姿を見つめながら、アンはフンと鼻をならした。「分かればいいのよ。ところで、手紙はこれだけなの? 抜き取ったりしていないでしょうね?」「まさか! そんなこと、するはずありません!」「そうね……その様子だと、嘘はついていないようね……なら、いいわ。それにしても後2日で
――騒がしい夕食後。ジェニファーはアンの部屋に呼び出されていた。「叔母様。何の御用でしょうか?」「ほら、手紙を返してあげるわ」アンはジェニファーに手紙を差し出した。「ありがとうございます!」まさか手紙を返してもらえると思わなかったので喜んで手紙を受取り、部屋を出ようとした矢先。「待ちなさい、ジェニファー。一体何処へ行くつもりなの?」「え? あの……部屋で手紙を読もうかと……」「手紙なら今ここで読みなさい。その後、私の言う通りに伯爵に手紙を書くのよ」「今、ここでですか?」部屋でゆっくり手紙を読みたかったのに、まさかここで読むように言われるとは思いもしなかった。しかも、手紙の返事を叔母の言う通りに書けとは。あまりに理不尽な話だった。けれどまだ子供のジェニファーは逆らえるはずも無い。「分かりました……」「なら、ここにお座り」夫人に言われるままに椅子に座ると、早速ジェニファーは手紙を読み始めた。『ジェニファー。元気にしているかい? 私のことを覚えているだろうか……』手紙の内容によるとジェニファーと同い年のセオドアの娘が病気で療養中の為、何処にも出ることが出来ずに寂しい思いをさせているので、話し相手として屋敷に来てくれないだろうかという内容の手紙だった。もし、承諾してくれるなら迎えの者を寄越すとも書かれていた。(そうだったわ、確か伯爵様には私と同じ年の女の子がいたわ。小さい頃一緒に遊んだことがあったっけ……)「ジェニファー」不意にアンに声をかけられ、我に返った。「はい、叔母様」顔を上げるとアンは向かい側の席に座り、ジェニファーをじっと見つめている。「あなた、どうして伯爵家と親戚だったことを黙っていたの? 大体、あなたの父親の兄とはどういうことかしら?」腕組みをしたアンは冷たい視線を向けてくる。「あの……お父様に聞いたのですが、まだ子供だった頃に子供に恵まれなかった伯爵家にお兄様が養子に貰われていったそうです」「お兄様が貰われていったの? 長男だったのに?」(何故、逆じゃなかったのかしら! だとしたら、私は今頃伯爵家と親戚関係だったかもしれないのに!)アンは自分があまりにも身勝手な考えを持っていることに気づいていない。「お父様とお兄様は双子で、お兄様の方が伯爵家の方々に良く懐いていたそうです。それで、貰われていった